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どうも、長谷川アーマンです。【彗星の如くはてなブログに現れた!?長谷川アーマンの自己紹介】

どうも、彗星の如くはてなブログに現れた、長谷川アーマンです。

4月から始めたこのブログもこの記事で100記事目を迎えるということで、今回は僕の自己紹介となぜこのブログを書き始めたかを語り尽くしたいと思います。

決意表明みたいなところもあるので、とりあえずこの記事を見た方は問答無用でブックマーク登録とはてなスターを付けていただければ非常に、非常に喜びます(笑)

 

あと、僕の「金持ちばかりが集まる街で生まれた話」「偏差値36から逆転して9ヶ月で大学受験に合格した話」「毎週末、発砲事件が起こるフィリピンに滞在していた話」など、結構ダラダラと生い立ちから今までを書き綴るつもりなので、電車の移動時間とか、お昼休みとか、仕事終わって寝る前とかの暇な時間に「こんなやつがこのブログ書いているんだな」ぐらいの感覚で読んでいただけると幸いです。

それでは、さっそくいってみましょー!

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長谷川アーマンってなんやねん

僕の簡単な現在のプロフィールです↓

名前:長谷川アーマン

年齢:25歳(2021年現在)

出身:兵庫県

好きな音楽:HIPHOP

座右の銘:Dont` rumor, Be rumored.(噂をするな、噂になれ)

出生から小学生時代

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周りは桁違いの金持ち達が集まる街に生まれる

僕は兵庫県芦屋市という、まあそれはそれはお金持ちがとにかく集まる街に生まれました。じゃあ長谷川アーマンもお金持ちの子供なのか!?と思う方もいるかも知れませんが、芦屋という土地は縦に細長い地形になっていて、阪急電車という電車の路線よりも上に住んでいる人は金持ち(いわゆるB'zの稲葉さんの別荘があるとか言われている六麓荘と呼ばれる地域もここに該当します)その路線よりも下に住んでいる人は一般的な家庭といわれていて、僕は下の下の下、最南端のごく普通の家庭で育ちました。

 

とはいっても、何不自由なく僕が大学を卒業するまで育ててくれて、お金持ち、ではないですが、母親と父親には感謝の気持ちしかありません。

 

しかし、とにかく周りが金持ちばかりなので、幼少期から衝撃的なことばかりでした。

 

小学生の頃から、駅にお迎えに来る車はマセラッティ、ベンツ、フェラーリ、といった高級車揃い。むしろ、駅前は高級車しか停車したらダメなルールでもあるのか?というぐらいの高級車のオンパレード。

夏休みの旅行は、ハワイは定番、ちょっとオシャレな家庭はヨーロッパに3週間ぐらい行ったり、アメリカ本土に一ヶ月間行ったりするのが当たり前の世界。

ちなみに僕の家は香川県にうどんを食べに行くのが定番の旅行でした。

でも大人になった今でも、どんな高級なディナーよりも、家族で食べる醤油を垂らして食べるうどんのほうが好きだと本気で思います。幸せの価値は自分自身で決めるものなので(キリッ)

姉と運動会が被らないようにするため小学生受験をすることに

そんな僕は、自宅から1時間ほどかかる神戸の小学校を受験することになります。しかも私立とかではなく、なんと、国立。

今考えたら小学校受験するってまぁまぁすごいことだと思うんですけど、当時の僕はなすがまま。理由も母親に後から聞いたら「地元の小学校にそのまま上がったら、お姉ちゃんと運動会の日が被るから」と言われ、母親の愛を感じると同時に、なかなかクレイジー

そんなこんなで小学校受験をするのですが、小学校受験って言ってもほんとに大したことはしないんですよ。

今から面接官が踊りをするので、終わった後に同じダンスをしてください、とか、自分の好きなことを話してください、とか、そんな内容ばかりだった気がする。少なくとも勉強しないと入れないような内容ではなかったと思います。

しかも、なにがすごいかって最終試験は、運試しなんです。それまでに残った親達が一列に並んで、あのスーパーとかにあるようなガラガラを回すという。なんとも異様な光景ですよね。今でも僕の前にいたおじいちゃんがハズレをだしてしまい、落胆していたのを昨日のことのように覚えています。

小学生の頃から文章を書くのがとにかく好きだった

そんなこんなで入学した小学校でしたが、その頃から母親の影響もあり本をたくさん読むようになりました。多分、1日1冊は読んでいたので、年間で200冊ぐらいは読んでいたと思います。

それと同時に、とにかく文章を書くのが好きなガキでした。毎日「今日一日の学習を振り返る」という宿題があったのですが、普通みんな「今日は分数の足し算を学びました」とか書いてる中、僕は今日一日の出来事の中でも特に面白かったことを話の起承転結を考えながら書いてたんですよね。今考えたら宿題をナメてんのかって話なのですが、それが結構先生達の間で話題になって、関わったことのない先生とかも僕のことをその宿題がきっかけで知るようになってくれてたんです。

もうすでに小学生ながら人生初のバズを経験してしまってたんですよね。いやー、すごい。たった20分の休み時間にあそこまでの熱量を持ってドッジボールできたあの頃に戻りたい。

勉強は分数の掛け算の時点で挫折。

ちなみに勉強に関しては、小学校三年生ぐらいで習った分数の計算で挫折してしまい、そこからほんとにまったく勉強しなくなりました。

というのも、僕がくじ引きで入ることのできた学校はなんと小中一貫の学校だったからです。受験しなくてもそのまま中学生になれるという神制度を存分に利用しようと思った僕は、算数でつまづき、算数ができないなら他の教科もやらなくていいや、と思い、常に学年では最下位の成績を記録していました。

中学時代から高校時代

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スラムダンクに憧れバスケ部に入部

バスケ部に入るキッカケがスラムダンク以外の男子、いない説。って水曜日のダウンタウンの企画であってもおかしくないぐらい、スラムダンクは偉大な漫画で、まさに僕もスラムダンクに影響を受けてバスケを始めた1人の小僧でした。

ポジションは身長が当時中学1年生ながら174cmぐらいあったので、センターを任されていましたが、センターに対してあまりカッコいい印象がなく、自主練習でひたすらスリーポイントシュートの練習をして、実際の試合で監督の指示を無視してスリーポイントばかり打っていたら、当時「仏(ほとけ)」の異名を持つ監督がブチギレてきたのを今でも覚えています。

反抗期到来と同時にファッションに目覚め始める。

中学2年生になり、ついに反抗期がやってきました。反抗期というか、今振り返ればただの厨二病なだけなのですが。

自分と仲間さえいればなんだってできるような気分になり、夜中に外にいるだけでワクワクして、学校の机とか壁とか意味もなく蹴っては、帰り道に尾崎豊を聴く。でも不良にはなれないし、勉強はできない。中途半端なガキでした。

その頃あたりからファッションにも興味を持ち始め、男性誌SmartFINEBOYSSamuraiELOなんかを読んでは、ひたすら読モの髪型や服装を参考にしてました。

学年ビリ、偏差値36の成績から、9ヶ月で関西の有名私大合格

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(参照:学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話[文庫特別版] (角川文庫) | 坪田信貴 |本 | 通販 | Amazon

元々、僕の通っていた学校は小中一貫の学校だったはずが、なんと僕が中学校に上がったタイミングで高校過程もできると発表。あまりの神展開に僕の勉強をしない意思は加速していったまま、ついに進路を考え始める高校3年生の春を迎えます。

僕が通っていた学校は、先程最後はガラガラで入学できるか決まった、と書きましたが、それでも受験してわざわざ入るような学校なので、それなりにハイスペックな人が集まっておりまして。

 

例えば、中学3年生でTOEIC満点を取る女の子がいたり(後に東大へ入学)

中学生からバスケを始めたのにも関わらず近畿選抜に選ばれたり(後に京大に行きアメフトで日本代表に)

地理オリンピックの大会に出場して好成績を残したり。

卒業後、ドイツでバレエの選手として一線で活躍していたり。

過去の卒業生にはノーベル賞をとっている人がいたり。

 

そんな人たちがゴロゴロいるような学校だったので、もちろん周りの進路は大学受験一択。しかし僕はというと、当時知っている大学の名前はジャニーズの山下智久さんが通っていた明治大学のみ。どうやって大学に行くのかもまったくわかっていない状態でした(当時はお金をだしたら誰でも自由に通えるものだと本気で思っていました)。

さすがにこのままではまずいと思い、まずは志望校を決めることになったのですが、とにかく大学がどんなものかもわからなかった僕は、当時、後に僕が通う大学に通っていた先輩に「うちの大学、めっちゃ楽しいし、ノリ良い人ばかりだし、来ちゃいなよ!」とジャニーさんみたいな勢いで言われ、なんかその先輩、たしかに毎週サーフィンとか行ってるし、楽しそうだなと思ってその大学を目指すことに決めました。

名前は関西大学。関東の人はあまり馴染みが無いかもしれませんが、関関同立という括りの中の1つで、関西ではわりと名前の知れている大学。

それまでの人生でまったく勉強をしてこなかった僕が、いきなり関西の名門大学を目指すと宣言したので、友人はもちろん、学校中の先生から「君には絶対ムリだよ」とバカにされました。でもそれもそのはず。授業もろくにでずに、授業にでても寝てばっかりの僕が受験に受かるなんてだれも思わないはずです。

母親の支えのおかげで見事合格。そして涙。

どうしても合格して周りを見返したかった僕は、今まで一度も言ったことのないセリフを母親に伝えます。それは「予備校に行かせてほしい」。

あまり余裕がなかったはずなのに、母はパートを週6日、3つ掛け持ちをして、僕の予備校費に充ててくれました。そんな母親の姿を見て、自分がどれだけ愛されているかを実感したと同時に、何が何でも受からなければいけないんだ、という強い気持ちに駆られました。

しかし、勉強を始めたのが高校3年生の4月ですから、普通に勉強していては絶対に合格はできません。しかも僕は高校3年生の春の時点で国語24点、英語28点、世界史8点とかのレベルだったので、はっきりいって絶望的でした。

でも、同時に「逆にここまでバカで合格したらめっちゃかっこよくない?」という気持ちが芽生えたのと、勉強を今までの人生でしたことがなかったので、学ぶことで自分の知らなかったことがわかるようになる楽しさを知り、昼夜問わずに勉強することに夢中になっていました。

そして9ヶ月後。偏差値36だった僕は、見事関西大学に合格。部屋で1人で合格発表をスマホで確認した後、リビングに行ったら僕の顔を見た母親の目に涙が浮かんでいたこと、今でもずっと鮮明に覚えています。

ちなみに、職員室に合格した報告をしに行くと、ほとんどの先生が落ちたものだと思っていたみたいで、謝ってくる先生もいたぐらいでした(笑)

大学時代

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毎晩飲んで騒いでのダメ大学生

いざ、大学生になった僕は受験勉強での羽目が外れてしまったのと、そもそもの人間性の問題もあり、超絶堕落した生活を送るようになります。朝までお酒を飲んでは授業をサボってしまい、適当にバイトをして、寝て、食って、寝ての繰り返し。

そんな大学生活ですが、かなりの数のバイトも経験しました(とゆうかどれも長続きせずにほとんどバックレるというあまりにもひどい有様)

 

塾の講師をしたり(地元の小さな個別塾で一週間に一コマだけ英語の授業を担当)

飲食をしたり(店長と相性が合わずに最終ビールをうまく入れれず、殴られた後にバックレる)

工場のライン作業をしたり(暴言が飛び交う中ひたすら外国人留学生とともに重たい荷物運んでました)

テレアポをしたり(今の光回線を切り替えてくれたら安くなりますよーと本当に安くなるのかもわからずに営業)

ゴミ収集車に乗ったり(地域のゴミを朝6時からひたすら回収する作業を二日酔いで挑み無事、死亡)

遺品整理の仕事をしたり(このバイトだけは唯一、その会社の社長が素晴らしい人で、ちゃんと真面目に働いていました)

 

でも、今思えばどれも自分にとってとても良い経験だったな、と今になって思います。特に、罵声を浴びさせられながらひたすら冷凍庫で牛肉をさばく夜勤とかは、良い意味で人生観が変わりました。マジです。

遊びすぎて借金地獄に

それでも、バイトしたお金はすぐにお酒に消えていき、ついには収入と支出のバランスがおかしなことになってしまい、消費者金融とクレジットカードのリボ払いで借金地獄に追いやられることになります。

結局1年間必死にバイトし返済しましたが、当時はお金がなさすぎて、バイト先まで電車で30分ほどかかるところを、歩いて片道5時間とかかけて歩いて通勤したりしてました(あまりにもクレイジー

Twitterではアルファツイッタラーとしてほんの少し話題に

そんな生活から抜け出した僕ですが、その当時自分の中でハマっていたのがTwitter。当時、面白いことをつぶやいて身内から笑いを取ろうと考えていたのですが、あるツイートがバズったことをきっかけに、どうやったらフォロワーが増えるか、どの時間帯にいいねがよくつくか、どの層に向けて発信するかを考えていました。今考えたらしっかりとマーケティングをしていたと思います。

研究を重ねた結果、アカウント自体に1万人ほどフォロワーがつき、有名な人でいうと、ライターのカツセマサヒコさんや、

女性に大人気のみなみちゃん

ユーチューバーのにゃんたこさん

などなど様々な方にフォローされているぐらい、巷では少しだけ話題のアカウントを運営していました。

 

けど、突然の賢者モードに襲われてアカウントは削除してしまいました。まさにアタオカですよね。

突如、海外に住みたくなりフィリピンへ逃亡

月日は流れ、大学4年生なった僕は、就職活動という現実に直面することになります。髪の毛を染めていた友人たちも、いきなり黒髪短髪になったり、どこどこの企業は年収が高いとか、あの企業はブラックだ、とか話だしました。

僕は、とっっても違和感を感じましたね。

だって、学生時代に頑張ったことはなんですか?って質問に対してスラスラ答えてるけど、普通にセッ○スと酒に溺れてただけやん、って人ばかり。しかもなんでスーツなんか着て、髪の毛も黒くしないといけないの?と。

まぁ、今思えばあの時ちゃんと就活しとけばよかったのかなぁ、と思うこともありますが、当時の僕はとにかくその雰囲気に耐えられなかった。

ので。

フィリピンに行くことにしたのです。(は?)

元々、南国に短期的にでも滞在したいという気持ちがあったのと、英語を勉強したいという気持ち、あと就職する前に、とにかく自分が知らない環境で住んでみたいと思い、3月にフィリピンへ行くことを決めて、すぐに留学エージェントに相談に行き、そこから一ヶ月後の4月には日本を旅立ちました。

フィリピンでの生活

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聞いてた話と全然違うフィリピンでの生活

僕が行くことになったのはフィリピンのセブ島。留学エージェントで見してもらっていた写真では、キレイな海が広がり、学校の中にはプールがあり、まさに南国って感じで超絶ウキウキして行ったのですが、ついた瞬間、その期待は裏切られる事になります。

 毎週末、発砲事件が起きるような環境

空港に着いた瞬間に身体に纏わりつくような暑い空気、トイレは3つ中2つが壊れており男性用小便器に列ができてる状態、聞き慣れない言語が飛び交う…まさに異国の地を感じ、この時はワクワクが止まりませんでした。この時は。

そこから、これから通うことになる学校の担当の人を探し、学校に向かうことになるのですが、車に揺られること40分。空港からだいぶ遠いなーとは思ってたのですが、外の景色を見てみると、5歳ぐらいのストリートチルドレンがタバコを吸っていたり、ギャングみたいな見た目の若者たちが路上に座り込んでいたりと、なんだかイメージしてたセブ島とは違う感じ…

 …。

そう。後でわかったのですが、僕が何も考えずにとにかくすぐに入学できる学校を探したので、エージェントから紹介された学校がセブ島の中でもかなり田舎で治安もあまりよくないタリサイ地区と呼ばれる場所にある学校だったのです。

 

毎週末、校内の喫煙所でタバコを吸っていると、外から「パァーン!パァパァパァーン!」と何か音がする。友人達と「え!?花火でもしてるのかな!?」と盛り上がり、週明け先生に聞くと「あぁ、君たちがよく行くスーパーの手前にレストランあるでしょ?そこで撃たれて若い男性が亡くなったんだよ」

「ファッ!?」

こんな感じの会話は日常茶飯事でした。

あと、韓国人の友人が路上を歩いていたら、アイスピックで刺されて強盗にあったり、僕が帰国した後も日本人の女性経営者が撃たれて日本でもニュースになったりと、なかなかの治安の悪さ。

それ以外にも日本にいればパソコンなんてある程度の人が持っていますが、街中のボロい小屋には2000年代初期に使っていたようなパソコンが3台ほど置いてあり、1時間50円でレンタルして使えるようなお店があったり。

どこを歩いていてもストリートチルドレンに「Money!!!Please!!!」とお金を要求されたり。

スーパーではなぜかクラブでかかるようなEDMが流れ、店員さん達は接客ほったらかしで踊っていたり。

 

とにかく、日本では考えられないような環境で、最初は戸惑いながらも、とても刺激的で良い意味で期待を裏切られるような楽しい生活を過ごしていました。

酒と煙草を愛して、これからの人生を考える日々

フィリピンに行くと決めてから1ヶ月で日本を旅立ったので、3ヶ月間ほど滞在するにも関わらず、日本円で持って行ったのは6万円ほど。あまりにも無計画。(バカすぎて草)

なので、周りはジンベイザメと泳げるツアー」であったり「少し離れた離島でリゾート気分」を味わってる中、僕は平日は授業を受けて勉強して、週末はひたすら学校の中にある喫煙所でタバコを吸って、夜になれば近所のバーに行って安い酒をひたすらバカみたいに飲んでいました。

異国の地で飲む酒はどうしてあんなに美味しいのだろうか。これだけで5万字ぐらいの論文書けそう。

 

そんな僕もさすがに1ヶ月に1回ぐらいはちょっと遠出をしたいと思い、友人と学校から50分ほどタクシーに乗って(タクシーも値段がめちゃくちゃ安い)マッサージを受けに行きました。

ここで事件が起こります。

僕とその友人は携帯にSIMカードが入っておらず、Wi-Fiがないと連絡が取れないどころか、携帯のほとんどの機能すら使えないような状態だったのですが、なんとマッサージが終わり店からでたら、ありえないぐらいの大雨。いわゆるスコール。

タクシーに乗って帰らなきゃと思っても、どこのタクシー乗り場にも30人以上が並んでいて、しばらく乗れる状態ではなかったのです。

 

僕の通っていた学校では夜9時までに帰宅しなければ罰則があり、その罰則次第では強制退学させられてしまうようなクレイジールールがあったので、とにかく早く帰らないといけなかったのですが、携帯も使えない、タクシーで50分ほどかかった場所で自分たちが今どこにいるかもわからない、タクシーも乗れない、とんでもない大雨。詰んでて草状況。

 

僕は、自分の指をぺろっと舐めて、風が吹く方角を感じ「こっちだ」と友人に伝え、とにかく南から来たと思ったので、南に歩いて行きました。

 

これが見事、さらに迷子になる原因となってしまい、見知らぬ土地で完全な迷子になったのです。

 

しかし、奇跡は起こります。

 

たまたま日本人が経営している焼肉屋さんを発見。

 

その店に入ってみると、日本人の方はいなかったのですが、その店員さんに事情を伝えると、「私の携帯を使ってタクシーを予約してあげるからそれで帰ったらいいよ!」と言ってくれたのです。

 

これ、わりとよくあるような話に聞こえるかもしれませんが、あの時は本当に人の優しさと温もりを感じた瞬間だったのです。

 とにかくみんな暖かくて、優しくて生きる上で大切なことを学んだ最高な場所

なかなかの治安の悪い地域で生活をしていたのですが、上に書いたエピソードだけではなく、とにかくフィリピンの人は暖かい性格の人が多い場所でした。

困ってることがあったら助けてくれて、とにかく常に笑顔の人が多い。日本で生活していたら気づけないことばかりでした。

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 ちなみにこれはフィリピンで仲良くなった6歳の少年。僕が当時吸っていた赤マルのタバコを吸いながら、人生について語り合った。(めっちゃカッコいい奴だった)

あと、フィリピンという国は、購買意欲というのが世界的にもとても高いのにも関わらず、平均月収はなんと4万円!

もちろんその分物価も安いですが、安いとは言っても日本の3分の1ほど。なかなか生活するのは大変なはずなのですが、それでもみんな週末になればモールに行き、新しい商品やおいしいご飯を食べています。

 

僕は気になって、フィリピン人の友人に「どうしてそんなにお金を使うの?貯金とかしないの?」と聞いたことがあります。

そしたらその友人はこう答えました。

「天国にお金は持っていけないよ。大切なのは今だよ。今を楽しまなきゃ」

…かっけぇよ。僕はその時、日本で就活に違和感を感じたり、少し人間関係でも悩んでいたのですが、本当にその通りだなと思い、今を大切に生きようと強く誓いました。

 ブラック企業に入社

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就活をサボり倒して一社しか受けずにそのまま内定を貰う神展開かと思いきや…

そして日本に戻り、翌年から就職活動が始まるのですが、やはり、どうしても就職活動に精が出ない。やりたいことも特にない。どうしたらいいんだ!!!!と悩んでた僕に偉大なる人生の先輩である母親がこう言いました。

「あんたの人生はあんたが好きに決めたらいい。でも、サラリーマンを経験するのは、人生において結構大切なことやったりするで」

なるほど。確かにその通りだと思い、僕はとりあえず大きなお金が稼げる不動産業界を受けることにしたのです。

とは言ってもそんなに履歴書を大量に書くのも嫌だし、面接もそんなに受けたくないという怠惰っぷりを発揮し、業界で有名な不動産の会社を一社だけ受けました。

 

説明会では「若くてもお金稼げます!」「管理職にもすぐなれます!」という言葉をそのまま受け止め「おっええやん、ここいこか」と思い、面接を受け、あれよあれよと採用決定。

 

マジこの瞬間は「俺すげーな、神やん」と思っていたのですが、実際入社してからその会社がヤバいことに気付きます(とゆうかほぼ100%僕がヤバいのですが) 

令和なのにオフィスだけマジ昭和。毎週誰かが辞めていく環境

入社してすぐに「お前らゴミには人権がないから上司の言うことを黙って素直に聞け」と言われ「えぐいやん」と思いながらも最初のうちは営業を一生懸命していました。

けど、本当にここ令和なん?、と思うぐらい昭和の風習が残っている会社で、具体的には

100人ほどの営業マンが集まる朝礼でフロア全体に響き渡るほどの罵声を浴びさせられる

靴べらで頭を叩かれて血を流した人がいる

家族や両親のことを否定される

コロナ禍にも関わらず朝まで飲み会

出勤時間の3時間前にはオフィスに強制出社命令。帰りは上司よりも早く帰ってはいけない。

など、本当にとんでもねぇ環境だったのです。実際僕はなにもしてないのに、上司と行った営業でお客様に土下座しろと言われ、土下座したこともあります。

もちろん、営業成績をあげたいならそれぐらいしないといけないというのは頭ではわかるのですが、人格を否定され、暴力を振るわれ、どんどん疲弊していってしまいました。

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唯一の楽しみは営業終わりの新幹線で1人食べる駅弁とビール。これだけは誰にも邪魔できない至福だったなぁ…。

(ちなみにこの時、行きの新幹線でスーツの股の部分が破れてしまい、めっちゃもじもじしながらも商談成立した記念すべき帰り道だった)

 営業先での上司の行動がきっかけで退職

地方に営業に行った際に、上司が帰りのタクシーで運転手の方に「この辺にご飯食べれるところあります?」と聞いたら運転手さんが「今はコロナでどこも店が閉まっててないかもしれませんねぇ…」と言いました。

僕は「(そりゃそーやろ、なにを言うてんねんこの上司は)」と思いながらも、ただ黙ってたのですが、目的地についてお会計するとき、上司が周りを見渡して「ほんまにここ田舎やな、なんにもないわ!!」と言って笑いながらタクシーから降りて行ったのです。

その後、車内でお会計をしている僕に運転手さん

「あんなこと言われたらすごく嫌な気持ちになりますね。もうここに来ないで欲しいです」

と言ったのです。

僕はただ謝ることしかできなった。でも、僕も運転手さんと同じ気持ちになりました。

確かに、新卒一年目の僕でも良い月だと70万円ぐらい手取りでもらえるような月もありました。でも、どれだけお金を稼げても、そんなことを言う人に自分はなりたくないし、そんな人の下で働きたくない。

こうして僕は会社を辞めることにしたのです。

そして現在

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24歳で結婚して、名字が変わりました。

学生時代からお付き合いをしている世界で1番可愛い彼女と24歳で結婚しました。

(突然の展開が続いてて草)

それと同時に、彼女に名字を変えてもらうのが嫌だったのと、シンプルに彼女の名字がかっこいいからという理由で、名字を変えました。

男性で名字を変える人は日本で4%ほどしかいないということで、それもなんか特別感があっていいじゃんと言うミーハーな理由もありましたが…

そして今はそんな奥さんのことを常に大切に思いなから、大阪のIT系の企業でのびのびと働いています。

なぜブログを書き始めたか【長谷川アーマンの野望】

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元々、小学生から文章を書くのが好きだったり、Twitterで情報発信をしていたこともあり、とにかく1人でも多くの人に自分の考えを発信するのと同時に、自分自身もアウトプットをすることでよりカッコいい大人になりたいと思ったからです。

僕は今年齢が25歳ですが、20代って自分が子供の頃に思ってた想像以上に「子供でもあり大人でもある」年齢だと僕は思うんですよね。

だからこそ、そんな20代の自分が思う理想の大人になるために、このブログを書いていこうと思っています。

また、今までは探り探りで書いていましたが、雑記なんかも書いていこうと思っているので、要チェックしてくださいね。

さいごに

人生は思ってる以上に短く、日々時間が淡々と流れていく中で、自分が死ぬ時に僕は「わが人生、一生の悔いなし」と思ってこの世を去りたい。

 

大人にも子供にもなれない全国のオトナ男子諸君。さぁ、カッコよくなる準備を始めようか。